泣いて笑って自己肯定~自己表現の行方

5/20ギャザリングを終えて
5/20ギャザリングを終えて

こんにちは。今日は夜が明ける前から雨が降っていますね。台風の影響とのこと。ドキドキします。

 

最近、「自己表現」っていう言葉がいろんな所からメッセージとしてやってきます。

そしてそのコトバに悩まされています。だって自己表現って言われてもどうしたらいいの???ホントに良くわからない。でもそこに引っかかるのは、やっぱり自分でもそこを超えたいと願っているから。。。  

 

私はずーっと「自己表現」が苦手だと思って生きてきました。いつからこんなに苦手を意識するのか分からないくらい・・・。パッと見、ガタイも大きくてゴーカイとか堂々としているとか、時には怖いとかよく言われる私だけれど、心の中に住んでいる小さな女の子の私は、いつもどこかで周りの景色を気にしながら、一歩を踏み出せなくていじけている。うじうじしている私がいる。

   

ショウガッコウ6年生の時、クラスの女子数名を除くほぼ全員から突然無視されることになりました。

私にとっては、まさに青天の霹靂。全人格の否定。存在を無視されるってこんなにも悲しくてツライ事なのか・・・。

 でもかならずそうなることには原因がある。わたしの放っていた何かと彼女たちの持っていた何かが、それを可能にしたのだ。

 

こんな風に書きながらその時のことを思い出すと、自然と涙が止まらない。うすうすわかってた。このあたりから自分を殺し始めたのを、人の顔色を気にするようになったのを。あの頃、初めて死にたいと思った。 それまでの私は覚えている限り、かなり天真爛漫だった。人に愛されることしか知らなかったと思う。それだけにキョウレツな体験だった。

 

ショウガッコウの卒業文集に無視をした女の子の一人が「私たちは一人の女子にイジメをした」といった内容の作文を書いた。それを見るだけで、心が壊れそうだった。こんな思い二度としたくない!だから、ずっとこの苦々しい記憶を心の奥深いところへと押しやってきた。

 

それから、人に嫌われないように、相手がどう思うか・どうしたいのかを、自分の~したいという気持ちよりも無意識に優先するのがクセになっていった。そしていつも明るく振舞いながらも心はどこか悲しくて、安らげなかった。いつも何かに遠慮して、何かを諦めていた。

 

それから約30年の道のりを経て、本当はとっても自分のことを大好きなのに、なかなか自分を肯定できなくなってしまった私、そしてそんな自分を責めて責めて責め続けてきた私がいることを、やっと受け止められるようになってきました。

 

だからってすぐにはどうしたらいいのか分からない!っていうのが正直な気持ち。

でもどこかでもっと本当のわたしらしく、ありのままの私で、もっとたくさんの人と関わりたい!自分を表現したい!

というのも素直な私の想いです。

 

ここまで来るのには、たくさんの素晴らしい出逢いがあったけれど、やっぱりターラとターラシスターズたちとの関わりはかなり大きい。ターラのみんなとは、いつもたくさん笑って、たくさん泣いて、語り合ってきた。この前のギャザリングの後、京子と二人で飲みながら、これからのターラや私たちのことについて語りました。京子がこのブログを書くことを強く勧めてくれました。泣き笑いしているこの写真も撮ってくれました。ありがとね。まだ自己表現ってよくわからないけど、自己肯定からはじめてみる。。。

 

 

いまでも、ふと消えて無くなりたいと思う事がある

でも私は生きることを毎日選んでいる

世界へ向かって、来る日も来る日も

イキヲ吸って、イキヲ吐いている

それだけできっと、わたしは

生きることをゆるされている

 

 

 

コメント: 0 (ディスカッションは終了しました。)
    まだコメントはありません。