2月22日にターラシスターのりえちゃんと江ノ島へ行ってきました。
2007年の9月に江島神社にある2番目のお宮、中津宮でターラ・マンダラ・ダンスを奉納して以来、江ノ島は私にとって特別な場所になりました。
久々に中津宮でお祈りをしていると、6年前ここで踊ったときの想いが溢れ出てきました。
その頃の私はいつも、「私なんか・・・」とどこか自信が無さそうに、陰日なたでいいんですって感じに振舞いがちでした。自ら縁の下の力持ち的な役割に徹しながらも、華々しい周りと自分を比べて必要以上に自分を蔑みながら、どこかで他者を羨んでる、ちょっと卑屈でめんどくさい女…。
本当は周りから自分の存在を認められたい。でもそれを素直に求められない傲慢さが自分をさらに卑屈にさせていたと思います。
そんな中、江ノ島で踊ったのは6番の「尊敬を受け入れる」ターラでした。
ターラ・マンダラ・ダンスは、ターラの持つ21の顕現(クオリティ)のうちのどれか一つを個々が受け持ち、そのターラとして自由に踊ります。そうすると、日々の生活の中でそのテーマが実際にやってきて、自分の内側と向き合わざるを得なくなることが多々あるのです。
「尊敬を受け入れる」ターラを自ら選んで踊ったけれど、その後のプロセスがかなり苦しかった!
尊敬を受け入れられるようになるには、他者からの承認を得る段階もとても大切なことだと思います。「今の自分をちゃんと見て、評価してくれている人たちがいる」それを知ることによって私はとても救われました。実際にこのターラを踊った後から、私を認め、励ましてくれる数名の存在が現れてくれたのです。その筆頭がターラシスターの三重ちゃんとゆうかちゃんでした。
この二人がいなかったら、私はこのプロセスが余りにも苦しかったためターラから完全に離れていたかもしれない。
そして、他者からの承認を得て満たされたものの先に、自分を信じるという自己信頼に至ることが尊敬を受け入れることなのだと、頭で理解できてもなかなかそれをハートに、肉体に、実感として落とし込めない、悶々とした日々が続きました。
「ありのままの不完全なわたし」を許し、それもまたいいものだと受け止められる大きな器は、やっぱり一瞬にはできないものですね。
それから6年、ターラを踊り続け、内なるターラと向き合い、
たくさんの未昇華の想いを見つめ、理解し、手放すことを何度となく繰り返し、今もなおこのプロセスは続いています。
でも、だんだんそれが出来るようになってくると、生きるのが楽になってくる。そして気が付くと周りの人のことがあまり気にならなくなる。違いが違いでなくなってくる。
ありのままの私を受け入れられると、ありのままの他者も受け入れられる。自分に対しての許しから始まる大いなる受容のプロセスはだんだんと身もココロも軽やかにしてくれる♪
この受容、すべてのものを許し受け入れる大いなる包容力がターラの子宮そのものなんだと、今の私は感じています。女たちの子宮力こそターラの慈悲に満ちた力であると!
続けることで導かれるターラの境地。
江ノ島の恩恵は深く大きいです。
オンターレ☆
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